バガボンド

Michael-SEED2004-07-23

僕の周りには、
バガボンドの小次郎編はおもしろくないって言う人が
結構います。


でも、僕は好きです。


特に、鐘巻自斎と伊藤一刀斎が好きです。
自斎が不動と斬りあうシーンがバガボンドの中で
一番好きなところ。
ISBN:4063288501


剣に生きてきた男が、
夢に破れ、心が萎えて、
剣を捨ててしまった後に、
小次郎という生きがいを見つけ、
人生の終盤で自分の人生の新たな価値を見つける。
そして、
自分の子供をとられる
という近くのおじさんの悩みを聞き、
それを自分の生きがいがなくなってしまうことと重ね合わせる。
それがどれだけ許せないことか、悲しいことか。
そして、不動と斬りあう決心をする。
そこら辺にとても人間らしさや
美しさを感じる。


だから好き。

特攻結果

昨日、「特攻じゃー!!」
とか書いてたけど、
朝ラウンジに行ったら、
政治関係にに強い後輩がいて、
CPS論争について3分間で教えてもらいました。


おかげで、撃沈されずにすみました。
Rくんありがと。
マジ感謝です。


でも、家かえってから爆睡してて、
夜10時ごろ起きました。
故に、また勉強してません。
今日も1限からテストやのに・・・。

オリター

昨日、前期基礎演習が終了した。
これで、04オリター団の活動が実質終了したことになる。
明日テストだけど、全然勉強する気にはなれない。
だから、blogでも書いて、余韻に浸ろうと思う。


これで、僕にとって3年目の基礎演習が終了した。
1年はは受ける側。
2,3年目は送る側として。
この3年もの基礎演習から僕はどんな意味を見出したのか?
僕が基礎演習で見出した意味、
それは、スキルではないような気がする。


1年目は一生懸命なオリターに憧れた。
あんな風になれたらいいなと思った。


2年目は後悔した。
もっとちゃんとやっておけばよかったと思った。


3年目は口惜しい気がした。
一生懸命やった。
でも、1回生に何を与えることが出来たのか。
1回生は満足してくれたのか。
オリターとしてちゃんとみんなと接することが出来ていたのか。
基礎演習が終わってしまった今でも、
そんなことを考えている。


最後までやりきろう。
最後に泣けるように頑張ろう。
と思って頑張ってきた2年目のオリター生活。
そこにどんな意味があったのだろう。


僕は今までいろんなものを途中で投げ出してきた。
部活はやったりやめたり。
浪人時代の大学受験は最後で失速。
1年目のオリター時代は最悪なほど何にもやってない。
みんなに迷惑をかけまくった。
ホント中途半端。
ホント迷惑。


こういうとき
漫画「海猿」で入谷が言った言葉を思い出す。
「俺はまだ何にもやってねぇ!!」


2年目のオリター生活で、
僕は「何かやった」
と胸を張って言えることはあるのか?
一生懸命やったつもりだけど、
何をやったのか?
そして、結果はでたのか?


結果という意味で、
1回生に何かを与えれたかどうか
は重要だ。
みんなはどう思っているのだろうか?
アンケートを見ると、
みんな「満足した」
とか
「ありがとう」
とか書いているけど、
実際に何を与えることが出来たのか。
まだ、それがわからない。
だから、何も与えることが出来なかったんじゃないか
とも思う。
僕にとって何がプラスになったかとかは、
僕の中でさほど重要じゃない。
みんなにとって僕は役に立つ存在であったか。
それが、僕の中で一番重要。
そこを考えると、
僕はまだオリターをやり切れていなかったんじゃないかな、
と思う。


ホントならまだオリターをやりたい。
でも、来年はオリターをやれない。
流石に就職活動もしないといけないし、
会議とかをいっぱい休むことはわかっているのに、
そんな無責任な姿勢でオリターをやるわけにはいかない。
もっと時間があれば、
オリターとして、もっといいカタチを見出せるのに・・・。
時間がないのが悔しい。
いつまでも関われないのが悔しい。
大学生活が5年間あればいいのに。
オリターの先輩たちも、
こんな口惜しい気持ちを残して、
オリターを辞めていったのだろうか。
そして、2年目オリターをやった仲間は
どう思っているのだろう?


こんなことを書いているが、
来年はオリター活動に全く関わらないわけじゃない。
僕のゼミでの研究対象は「オリター団」なのだ。
テーマは
「政策科学部オリター団におけるナレッジマネジメントシステムの構築と運用」
システムって言っても、
ITだけじゃなくて、
会議などオリター団のマネジメント体制を
「知識経営」の観点から全て見直していく。
実際に来年の1回生に関わることは無いだろうが、
実際に1回生に関わっていくオリター団のマネジメント体制の
ベストプラクティス的なものを考えていこうと思っている。
ここで、大切なのは、
僕が考えるのはあくまでも例みたいなものであって、
俺が考えたとおりにやれっていうことではない。
実際に活動していくオリター団の現状を
踏まえられないからだ。
自分たちの実情に合わせて、
マネジメント体制を考えていく必要があると思う。
ま、まだあんまし考えられてないけど、
こういうカタチでオリターに関わっていこうかなと思ってます。


僕が3年もの基礎演習で得たもの。
それは、
「何が何でも絶対に解決してやる!!」
っていう熱いオモイ=政策マインド。
スキルとかは大して得ることが出来なかったかもしれないという意味で、
学部が意図しているものは全て得るとこは出来ていないけど、
オモイっていう何にも代えがたいものを得ることが出来た
という意味で
3年間もの基礎演習に十分意味はあったんじゃないかなと思う。
でも、まだ結果が出るには至っていない。
ここはまだ途中。
卒業までには何とか結果に残したい。


基礎演習って実際のところ、
1回生にスキルを身につけることができるのかな?
僕は1回生のときに少なくとも、
大したスキルは得ていない。
ちゃんとスキルを得ている人もいると思うし、
スキルを得ることにこしたことはない。
でも、大したスキルを得ることができなかった僕が
そこで得たものは大きかったような気がする
オリターへの憧れ。
それだけだったけど、
ここまでやってきた。(まだ途中だけど)


1年目オリターのとき
基礎演習にオリターが入るべきかということを
議論したことがあった。
その時は、
何も考えずに「入るべきだ」と思ってた。
その後、
別にオリターがキソエンに入らなくてもいいや
と思った時期もあったが、
今は「絶対入るべきだ」と思う。
それは、何故かと言うと、
オリターという存在が基礎演習を通して、
1回生と関わっていくことで、
1回生の中にいろんなオモイが生まれていくから。
オリターがいなかったら、そんなものは生まれない。
教える側として、友達として、人間として、
1回生と関わっていくことで、
1回生にいろんなオモイや問題意識が生まれる。
それは、人によって必要であったりなかったりするけど、
僕の場合とても重要だった。
1回生の時に僕の中に芽生えたオモイが
今の僕を養ったといっても過言じゃない。
オリターが基礎演習を一生懸命頑張って運営している。
それが、政策科学部の熱さの源泉なんじゃないかなと思う。
その熱さが後輩に伝わっていくことで、
よりこの学部が熱くなっていく。
僕らの意志は後輩にどんどん伝えていかなきゃならないな・・・。


ホントに今更再確認するけど、
この学部にはいってよかった。

変な神、トラックバック初体験

blogをはじめてもう半年が経過した。
それなのに、僕はまだ
トラックバック
なるものをしたことがない。


これは大変だ。
ということでしてみようと思う。


大学の先輩のblogで
「後輩は神になりました」
ということが書かれていた。
ILL JAKE ART PRODUCTIONの2004年7月20日の日記)


後輩=僕です。


ここで考えたのは、
どういう「神」なのかということ。
大まかに考えられるのは以下の2つ。

1.本当の神
2.変な神

普通に考えて、答えは2だろう。


では、変な神は変な神でも、
どのように変なのだろうか。
先輩はこのBlogを読んで僕を神だと判断したのだから、
答えはこのBlogの中にある。
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
僕は変だ。
間違いない。
先輩は僕の「変」さが「神」レベルだと判断したのだろう。


でも、悪い気はしない。
他人と変わっているのは、
僕の中で美徳。
ある意味最高のほめ言葉かもしれない。笑。