ディベートって何のためにするの?

立命館大学政策科学部の1回生のときのゼミ形式の授業である「基礎演習」では、
主にディベートという手法を用いて勉強します。


ディベートとは、あるテーマについて肯定側と否定側に分かれて行う討論のことです。
ディベートによってはジャッジが勝ち負けをつける場合もありますが、
基礎演習で行うディベートに対しては勝ち負けをつけることはしません。
何故かと言うと、この授業では議論の優劣をつけることが目的ではないからです。


では、基礎演習において何故ディベートを行うのでしょうか?
一般的には、
ディベートが政策科学を行っていくうえで必要なスキルの向上につながるからといわれています。
確かに、このディベートを行うことによって、
プレゼンテーション能力や、情報リテラシーなどのスキルが向上することは明らかですが、
僕はそのためだけにディベートを行っているのではないと思っています。


では、何のためにディベートを行っているのかというと、
「よりよい未来を創造するために解決策を導き出す(練習をする)ため」だと僕は思っています。


何故このようなことがいえるかというと、
政策科学とは「よりよい未来を創造するため」に存在する学問であるからです。
しかし、ディベートではお互いの意見を主張しあうだけであって、
解決策を導き出すことはできません。
問題に対して解決策を導き出す場合は、
代替案を作るか、お互いの歩み寄り(バランス調整)が必要であり、
現在の基礎演習においては僕が思うディベートの目的を達成できていないと思います。


そこで必要だと思われるのは、
ディベートでの賛成派と反対派が共同して、
お互いの調和を図り政策立案をすることだと思っています。
できれば、新入生のためにそのようなことができる基礎演習を作っていけたらいいなと思う今日この頃です。